気が付いたら、2ヵ月半もコラムをサボっていました。
怒涛の全日本ロードレース後半戦も先週末で最終戦を終え、このレースを持って全日本ロードのGP125というカテゴリーはその歴史に幕を下ろしました。 (現在は”J-GP3”と名称を変えていますがここではあえてこの呼び方を使いたいと思います)
J-GP3のカテゴリーは今後は4サイクル250ccという仕様で続けられますが、2サイクル125ccエンジンの車両は今シーズンを持って終了となりました。 あの臭くてうるさい2スト特有の暖機から開放されるのかと思うと、ほっとするようなちょっと寂しいような、複雑な心境です。
今回はGP125ライダーで、長年にわたり2Dデータロガーのユーザーである山本武宏選手をコラムでご紹介したいと思います。
山本選手とレイクラフトの付き合いは大変古く、私たちレイクラフトが2Dのデータロガーの取り扱いを始めてまもなくの1999年シーズンより導入していただきました。
当時はデータロガー自体があまり知られていない時代で、ましてやかなり高価だったこの計測システムをプライベーターが導入するというのは画期的なことでした。
しかしこれには2つの理由があって、ひとつは山本選手が元WGPライダーで、データロガーの必要性や有効性を早くから見出していたという点、そしてもうひとつは、この時代GP125はまさに群雄割拠といっても言い過ぎではない程どのチームもいろいろな知恵や工夫を凝らしバイクを”速くする事”に情熱を燃やしていた時代でもあったのです。 ですから、この頃からGP125クラスは2Dのデータロガーを採用し始めるチームがどのカテゴリーよりも多く、山本選手はその先駆けであったわけです。
また、山本選手のデータロガーの活用方法は他のユーザーとは一線を画す斬新なものでした。
エンジンや排気管の仕様を変えて、2スト特有のデトネーションと排気ガス温度の関係をチェックするなどというのは、彼にとってはごくごく当たり前のこと。
仕様の異なる2種類のカウルを付け替えて、ストレートの加速やトップスピードの違いを検証したり、ラップタイムを表示するミニダッシュにラップタイムだけでなく、リヤサスのストローク値を表示し、走行中にリアルタイムで確認するなど、走行の結果としてのデータを比較するのではなく、能動的に走りの違いをデータに反映させてセットアップを詰めてゆくという手法でデータロガーを文字通り活用していました。
山本選手は2007年シーズンで一旦引退されたのですが、GP125ラストイヤーの今年、復帰参戦!
2011年6月、今シーズン初となったもてぎの合同テストでピットに行き、久しぶりに見る山本選手のマシンに搭載されていたロガーに思わず発した言葉が 「懐かしい! まだ元気だったんですね・・・レトロな感じがしますね。」 山本さんに「失礼な・・・」とたしなめられましたが、わたしが本当に驚いたなつかしのロガーが、これです。
最新のロガーと比べるとずいぶんずっしり存在感がありますが、当時としてはトップスペックのロガーで、今や当たり前となった”CAN”ロガーの先駆けの逸品です。
ミニダッシュは現行仕様と変わりません。
山本選手の数々の戦歴を計測し続けたデータロガー。
ここで仕事を終えてしまうのはあまりにももったいない。 山本選手にはぜひ今後もこのロガーを引っさげてレースを続けて行っていただきたいと思います。